カラダコーチのリョウです。
今日は「身体知」についてお話します。
もっと正式に言うと「身体知」の本で学んだことを書きます。
この本は「身体知」の商標を持っていらっしゃる内田樹(うちだ たつる)さんと三砂ちずるさんの対話が収められた12年前の本です。
内田先生は東大でフランス語を専攻されて、そういったジャンルを神戸女子大の教授として教えているのですが・・・
「能」や「武道」などいろんな一流の方と対談や本を書かれていて、自身も「能」や「武道」に長年通じ、身体に関する知見がとても深いお方です。
で内田さんの提唱する
「身体知」とは
「身体には、身体固有の知がある」
中でも重要な知は
「カラダの中で起こっていることがわかる」
「カラダの外(相手や場所)で起こっていることがわかる」
これらの能力を身体感受性と呼び、身体知の中で最も重要な「知」だと言っています。
1つ目の「カラダの中に起こっていることがわかる」
はできるかできないかは別として理解できると思います。
ですが2つ目の
「カラダの外(相手や場所)で起こっていることがわかる」
というのはかなりわかりにくいですね。
これはどんなことかというと
「生命力を奪う人を見分けられる」
「生命力を奪う場所を見分けられる」
ということだそうです。
そして現代人はその感受性がとても下がっていると内田さんは言います。
(この件はまた詳しく書きますが)
実際にカラダを整えてカラダの感度が上がると多くの人は
「あの人といるとへんな感じがあする」
「あの場所に行くとすごく疲れる」
というようなことを言い出します。
これは実際には進化なのですが、もしその人がサラリーマンだったらどうなるでしょう?
そういった人と仕事し、そういった場所に通い仕事をする。
おそらくメンタルがボロボロになってしまうと思います。
ですから、現代人が生きるためにその能力を
「カラダを硬直させてやり過ごす」
ことで無意識に封印するそうです。
ヨガや瞑想が上手になって、カラダの感度が上がると実社会で生きるのが辛くなる人が多いのはこのためだと強く思います。
僕が提唱する「身体知能」はその場所で最適な状態を作る能力なので
その身体感受性をオフではないけど、ダイヤルを調整してやりすごせるようにすることができるようになります。
さらに言えば、人生のクオリティを下げることなく、そのような人や場所になるべく関わらなくてよい環境を自分で作り出せるようになる能力です。
そういうイメージが
「身体知能」に近いのではないかと思います。
しかし改めて、身体性が現代社会では低下しているのだなと強く感じました。
明日も書こう。